家康に仕えた悲劇のキリシタン「ジュリアおたあ」 直筆書状を発見
豊臣秀吉の朝鮮出兵で朝鮮半島から連れてこられ、徳川家康に仕えたが、棄教の命令を拒んで流刑となった悲劇のキリシタン女性「ジュリアおたあ」の直筆書状が初めて見つかった。弟の子孫から寄贈を受けた萩博物館(山口県萩市)が19日発表した。弟に贈られた家康の小袖も確認され、専門家は「歴史的にも極めて貴重な資料」と話す。
書状は旧長州藩士の村田家に伝わったもので、3通あり、うち1通は1609年に記されたとみられる。家康に仕えていた「たあ」が、朝鮮半島で生き別れた弟に似た男性が毛利家にいると伝え聞き、素性などを尋ねる内容などが記される。
調査を行った学習院女子大学の福島雅子准教授は「あて先の『うんなき殿』は、村田家初代にあたる村田安政(うんなき)で、たあの弟と考えられる。たあが送った書状が伝わったのだろう」と話す。
小袖(身丈(みたけ)121センチ、裄(ゆき)59センチ)は、おたあの手引きで家康に会った安政が、馬や刀とともに拝領したとされる。徳川家の初期の葵紋が5カ所に配され、実際に家康が使っていた可能性が高いという。
おたあは、17世紀のイエズ…
- 【視点】
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